【行ってきました!AIR JAM2018③】まさかのハイスタ復活が私の心にも火を灯した

どーも。本当は、明日の会議の資料を作成しなければならないのに、飽きて現実逃避のためにこのブログを書き始めた錦糸町の大沢っちです。
書き溜めバレバレなのですが、今月もパンクキッズだった大沢っちが、【AIRJAM2018】に行ってきたってお話の続きです。

失いつつあったパンクへの想いが再び燃え上がる

前回前々回と、そのフェスを主催するハイスタへの思いを綴ったのですが、自分が大学進学を機に上京して以降は、メンバーの不仲によりハイスタは活動を休止してしまったのでした。

自分自身も他の音楽に触れる機会が増えて、パンク熱も冷めていき、HIPHOPやREGGAEといったジャンルに傾倒していくようになり、ハイスタ含めパンクロックは、ほとんど聞くことがなくなってしまいました。

時は流れて2011年。ハイスタが東日本大震災を受けて復活!2度と活動はしないと思っていましたが、日本を元気にするために横浜スタジアムで【AIRJAM2011】開催を発表。まさかの活動再開でした。

パンクロックからは心が離れていたワタクシですが、コレは行きたい!と思いました。しかし、11年も待たされた人がたくさんいたのでしょう、プレミアムチケットは発売直後一瞬でSOLD OUT。3万枚のチケットに22万の応募というプレミアムチケットは取ることができませんでした。

苦悩する最中、漏れ聞こえてきた音

当時は、震災による漠然とした不安が日本を覆っていましたが、自分自身もこの頃、震災以外で大きな出来事があり、正直、この仕事を続けていくかどうか悩みに悩んでいた時期でもありました。

そんな打ちひしがれているワタクシが、仕事の打ち合わせの帰り道に、いろいろと悩みながらフラフラと歩いていたのが、なんと【AIRJAM2011】が開催される横浜スタジアムの前でした。

忘れていたのですが、その日は【AIRJAM2011】の前日で、しかもリハの音が漏れ聞こえてきたのでした。

すごい衝撃とともに、なんだか泣きそうなくらい元気をもらえました。まぁ、当日は行けなかったんですけどね。

ハイスタの音楽があったから仕事も続けられた

そんなこともあり、今でもこの仕事を続けていられるのは、彼らのおかげもあったのかもしれません。

その頃から、ハイスタを聞いていると元気をもらえるような気がして、再びちょこちょことハイスタを聴き始めたワタクシでした。

その後にリリースされたDVD『LIVE at AIRJAM 2011』はもちろん購入。

さらに、2012年に東北で【AIRJAM2012】が開催されるのですが、そのチケットも取ることができずに不参加でした。

【AIRJAM】は自分にとって、そんな思い入れのあるフェスなんです。今月は、お後がよろしいようで。

また来月!

この記事を書いた人

貴志大沢
  • 大沢 貴志 ( / )
  • 最近、何故か○ンニバルと呼ばれます。BMIは22です。戦争をしないでラーメンを食べよう!

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