【意外と間違えやすい?】新海誠監督作品と細田守監督作品の見分け方

いまさらですが『天気の子』観ました!

遅ればせながら『天気の子』を観てきました。本当は『ジョーカー』を観るつもりだったんですが、吉祥寺って『ジョーカー』やってないんですね。勘違いしてました。

で、どうしようかなと思っていたところ『天気の子』が目に入ったわけです。念のため断っておきますが、別にしかたなく『天気の子』にしたとかじゃなくて、『天気の子』は『天気の子』として、もともと観たかった作品でした。ただ、そのときの気分が『ジョーカー』だったってだけで・・・

ともかく、『天気の子』を観に行ったんですけど、いまだにほぼほぼ満席で、人気のほどをうかがわせます。まず率直な感想を言わせていただくと、相当面白かったです。個人的には前作『君の名は。』よりも上でしたね。

『君の名は。』でメジャー路線に移行する際、そぎ落とされた新海誠監督“らしさ”が戻っていたのがうれしかったです。あんまり書くとネタバレになりますので、詳細は控えますが、間違いなく傑作だと思います。

新海誠監督作品と細田守監督作品の違い

とまぁ、映画の余韻にひたっていると、一緒に行った連れが妙なことを口走るんですよ。なんと「新海誠監督作品と細田守監督作品の見分け方がわからない」なんてことを言いだしたんです。

そのときは当然、「全然違うじゃん!なにをバカなこと言ってんの!?」と思ったんですが、あとになってよくよく調べてみると、新海誠監督作品と細田守監督作品の区別がつかないって人、結構多いみたいなんです。

そこで、僭越ながら新海誠監督作品と細田守監督作品の簡単な見分け方をレクチャーさせていただこうかと。

【見分け方その1】テーマが違う

決定的に違うと思われるのがココ。家族をテーマの中心にすえて、くどいほど家族を描写するのが細田守監督で、家族、家庭の描写はあっさり流すのが新海誠監督。とくに『天気の子』は、なにか意図的なものを感じるほど、主人公2人の家族描写が薄かった、というかなかった(兄妹関係は除く)。うがった見方をすると、原作ありの『時をかける少女』以外、近作はすべて家族がテーマの細田守監督を意識してのことか?と考えられなくもないかも。

そんな新海誠監督は、恋愛が大きなウエイトを占める場合がほとんど。恋愛の裏側にあるさらに大きな孤立がテーマの場合もありますが、とっかかりとしてはいつも男女の恋愛があります。

◆まとめ
家族がテーマ⇒細田守監督
恋愛がテーマ⇒新海誠監督

【見分け方その2】ポスターの見せ方が違う

2人が監督した作品のポスターを集めてみましたが、ここに明確な違いを発見しました。

細田守監督作品は、キャラクターをポスターの中心に置いているのに対して、新海誠監督作品はキャラクターを背景の一部であるかのように配置しています。キャラクターをポスターの真ん中に置くパターンもありますが、よく見ると顔に必ず影が差していて、光の使い方が細田守監督とは全然違いますね。レイヤーで考えると、背景の下に人物がいることになります。細田守監督作品は顔部分にスポットライトをあてているように明るく、最前面にキャラクターを置いていると判断できます。

映画のポスターといえば、作品の“顔”です。細田守監督、新海誠監督による作風の違いが如実に反映されている箇所ではないでしょうか。

◆まとめ
ポスターの中心に人物がいる⇒細田守監督
全体を構成するパーツのひとつとして人物を配置⇒新海誠監督

【見分け方その3】エンディングの方向性が違う

『君の名は。』以前の新海誠監督作品には、バッドエンドもしくはビターエンドが多い。それがイマイチ売れなかった要因なのかもしれませんが、逆にそこが好きというファンも実は多いです。

『天気の子』もどこか喪失感の残るラストで、『君の名は。』以降、メジャーフィールドに活動の場を移しましたが、初期作品からのファンも新海節は健在と納得しました。

細田守監督の場合は、全作ほぼハッピーエンド。作品によって登場人物全員がハッピーな終わり方とは言えないものもあるけれど、それでも観客としての立場なら十分にハッピーと言える終わり方が多い。少なくとも前向きに成長を感じさせるエンディングです。

◆まとめ
ハッピーエンド⇒細田守監督
バッドエンドもしくはビターエンド⇒新海誠監督

【見分け方その4】登場人物にケモノがいる?

細田守監督の出世作となった『サマーウォーズ』以降、すべての作品にケモノが登場しています。理由はなにか?ネットでは、まことしやかに性癖をストレートに出しすぎる囁かれ、揶揄されることもあるけれど(ちなみに猫じゃなく犬系なのがポイントか)・・・

実際それが正解なのかなと、思わなくもないですが、ここは監督が自身のキャラクターをどのように捉えているか、という部分にもつながるところなので、先入観ナシに考えてみましょう。

細田守監督がキャラクターに自身(の趣味嗜好)を投影するタイプとするなら、新海誠監督はキャラクターを俯瞰で捉えるタイプと言えるのではないかと。『君の名は。』、『天気の子』の主人公も、ステレオタイプとまでは言えませんが、意外と際立った個性は持ちあわせていません。匿名性をまとった主人公像を、あえて意識しているように感じました。

細田守監督、新海誠監督それぞれの主人公像に優劣はありませんが、細田守監督のほうがキャラクタービジネスにつながりやすいとは思います。それこそジブリのような。もっとも今の段階では成功しているとはいえません。むしろキャラクタービジネスとは縁遠い新海誠監督のほうが、なぜかキャラクタービジネスとしても成功しているような状況ではありますが・・・

新海誠監督の場合は、観客が自身を投影しやすく、感情移入が容易と言うメリットがありますが、それ以前にキャラクターを含む世界観や物語を重視するストイックな作風が大きいのかなと、個人的に推察します。

物語のためのキャラクターか、キャラクターのための物語かって話ですね。どっちがいいかは観る人の好きずきだと思いますが。

◆まとめ
登場人物にケモノがいる⇒細田守監督
登場人物に突出した個性がない⇒新海誠監督


以上4点を踏まえて作品を観賞すれば、新海誠監督作品と細田守監督作品を間違えることもないと思います。

この記事を書いた人

しめ
  • しめ ( )
  • マーケティング事業部のしめです。仕事以外の時間はほぼすべて猫に費やしています。奴隷のような暮らしを強いられていますが、猫に奉仕する幸せかみ締めてます。ちなみに飼い猫の名前も『しめ』です。

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