【80’S日本横断風俗紀行】札幌ススキノから那覇松山までを完全制覇!? 

横浜エリア店長のやまもです。前回からの表参道話は少しお休みして、今回は想い出の風俗紀行。

街中が歓楽街だった当時のススキノ

北海道で過ごしたの学生時代、当時のススキノは景気も良く、日本中から観光客が集まる大歓楽街でした。

安くて新鮮な刺身、カニを肴に盛り上がった後は、ランジェリーパブから、ピンクサロン、ヘルスにソープ・・・居酒屋と同じビルに風俗のテナントが入ってたりします。街中が歓楽街。しかも格安で女の子のレベルも高いお店が多く、貧乏学生でも手が届きます。

以前も書きましたが、当時の私はススキノナイトワーカー、ディスコの黒服。女子にはモテモテだったので(ホントに!)あまり風俗には興味ありませんでしたが・・・

夜遊び情報誌をたよりに初体験

初めて行ったのは確か店舗型のヘルス店だったかと思います。

ネットも携帯もない時代。「すすきのタウン情報」という飲み処から風俗店まで、何でも載ってる夜遊び情報誌をたよりに友人と2人、期待と不安を胸に未知の扉を開きます。

30分4,000円くらいだったでしょうか。店員のお兄さんに「○○ちゃん!ご案内ですー」と通されたカーテンの向こうには、「え、こんな子が」というような20歳そこそこの綺麗なお姉さん。

手を繋いで通されたのは、鏡張りでマットが1枚の小部屋。さすがにどんなお顔だったのかは覚えてませんが、とってもいい子で良くしてくれて。また若かった私は数千円払ってたどり着いた謎の空間に、哲学的快楽?を感じながら・・・

定番の札幌ラーメンすすりながらの報告会。私の方がアタリで、友人はやや年増のお姉さんだったのですが。

1か月後くらいにあのお姉さんいるかなあ、と訪れた時には辞めていて。学生時代の風俗体験は結局これ一度きり。

大阪で2度目の風俗体験

時は流れて、20代半ばに就職して大阪に転勤。当時の私は期待の新鋭社員。仕事モード全開で(ホントに!)、これまた風俗に興味はなかったのですが、東京から出張で来ていた偉い上司の接待帰り、「ちょっといくか!」のひと声で2度目の風俗体験となります。

「どっか知ってる?」
「いえ存じ上げません・・・」

会社に電話して、

「本部長がご所望なのですが・・・」
「すぐ行くから!」

課長が駆けつけます。

この時代のサラリーマンは、飲んだり遊んだりが男同士の仕事の絆を強めると固く信じていて、取引先の接待にせよ、同僚にせよ、何かというと一杯やっていたものです。

せっかく課長も来たので少し飲んでからという話になって、千鳥足の3人は梅田の繁華街に向かいます。

那覇松山にたどり着くのは10年後くらいになりそうですが、大阪の夜の続きは次回にて綴らせていただきます。

この記事を書いた人

やまも
  • やまも ( / )
  • タレントのマネジメント業から転職、ドライバースタッフを経て、入社5年目の店長就任。新たな気持で取り組んでいます。チャンスはここにあります!横浜で一緒に夢を語りましょう。

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